株式会社大樹の創業者である稲浪秀晴は、事業の拡大発展のために粉骨砕身、仕事に取り組んだ一方で、唯一の趣味であるテニスにおいては、協会運営を通して一生懸命にテニスの強化普及活動に取り組んだ。
そして、テニス協会の事業活動を通してジュニア層の強化育成に尽力し、富山県出身の全日本チャンピオンを5人輩出した。
富山県テニス協会事業としては、2004年(平成16年)からは稲浪秀晴氏の功績を讃え「稲浪杯富山県秋季小・中学生テニス選手権大会」が開催され、さらにジュニア層の強化、普及を図っている。
また、高岡市テニス協会事業としては、稲浪秀晴氏の功績を讃え、個人名の大会と会社名の大会が、1972年(昭和47年)から一般男女ダブルスの「稲浪杯」、1980年(昭和55年)から一般男女シングルスの「大樹杯」が開催され、テニス愛好家に楽しみの場を提供している。
また、1987年(昭和62年)5月に、国際大会であるデビスカップを地方都市としては熊本県に次いで2番目として富山県誘致を成し遂げ、日本対香港の試合が繰り広げられた。
普及活動としては、昭和47年から58年まで、会社の敷地内に設けたナイター照明付きのテニスコートを市民に一般開放し、仕事帰りの市民が気軽にテニスのできる場所を提供した。
また、自宅の庭に県内唯一のローンテニスコートを設け、休日には仲間とテニスに興じるのがいちばんの楽しみであった。
テニスに興じる秀晴 自宅の庭に広がるテニスコート
稲浪秀晴のテニス協会会長歴 稲浪秀晴(株式会社大樹 創業者) |